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縄文時代3 お米はどこからきた?
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さあ、縄文時代のお米のおはなしです。
縄文時代には栗が栽培(さいばい)され、イネも栽培されていました。
稲(いね)は畑にモミをまくだけでも栽培できます。 岡山の朝寝鼻貝塚(あさねばなかいづか)の土の中から、6000年前の稲の細胞(さいぼう)の化石(かせき)が検出(けんしゅつ)されています。
九州の菜畑遺跡(なばたけいせき)からは 紀元前(きげんぜん)500年ころの水田稲作(すいでんいなさく)が行われていた跡(あと)が見つかっています。どちらも縄文時代ですよ。すごいですね
その後水田稲作は、西日本一帯(いったい)に広がり海沿い(うみぞい)に東北地方(とうほくちほう)にまで広がりました。
なぜ米作りが広がっていったのでしょうか?そうです、お米は、1年も2年も保存ができ、栄養もあり、たいせつな食べ物だったのです。
お米を作り、ネズミや害虫(がいちゅう)から守るため、風通しの良い、高い床の倉庫(そうこ)に蓄(たくわえ)えれば村中(むらじゅう)皆が生きていけたのです。
それではお米は、どこから日本に伝わったのでしょうか。それとももともと自然(しぜん)にはえていたのでしょうか。

じつは、日本にお米が伝(つ)わった道はいまでも謎(なぞ)です。
しかし、教科書には、「米づくりは、1万年ほど前に中国(ちゅうごく)で始まり、日本に伝わったと言われています」と 二つの道が書かれています。「・・・といわれています、と・・・考えられていますとか、教科書ではよく書かれています。
本当でしょうか?いったいだれとだれが言っていたり考えているのでしょう。少数の人かもしれません。多くの人はそう考えていないかもしれませんね。
教科書は、事実ではなく学説(がくせつ)がかかれていますから全(まった)く反対(はんたい)の学説をとなえている人がいるかもしれません。いやいるはずです。ですから教科書には載(の)らない反対の学説も調べてみる必要があります。
これは初めにお話しした事ですが大変重要なことです。
一番左の地図は、朝鮮半島(朝鮮半島)からと中国大陸(ちゅうごくたいりく)から海を渡って伝わった二つのルートが書れています。
ボタン1の地図をクリックすると、遺伝子研究により朝鮮半島から伝わったのではないことがわかります。


稲はもともと日本列島にも自然に生えていたかもしれません。

 縄文時代の日本は、今よりも気温が高く、亜熱帯気候(あねったいきこう)でした。イネはもともと亜熱帯性植物で自生(じせい)つまり自然に生えていたものです。
縄文時代よりも古い時代の地層(ちそう)から大型(おおがた)のワニの化石(かせき)が大阪(おおさか)で発見されています。その後しだいにに気温(きおん)が低(ひく)くなり現在(げんざい)のようになりました。
ですから縄文時代にもワニがいたかもしれません。それで日本で一番古い歴史書の古事記にでてくる因幡(いなば)の白兎(うさぎ)とワニの言い伝(つた)えとして残(のこ)っているのかもしれません。陸のウサギと海のサメではおかしいですね。